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あめりか屋について

はじめに

 株式会社あめりか屋は、1923年(大正12)に「京都あめりか屋」として創業しました。創業当時、関東大震災という未曽有の災害に見舞われていました。このような時代に誕生した当社は、その後も幾多の困難を乗り越えて成長してまいりました。私たちの歴史は、大恐慌や世界大戦、敗戦、占領、復興、高度成長、オイルショック、バブルとその崩壊、リーマンショック、そして2020年(令和2)から世界的に蔓延したコロナウィルスなど、激動の歴史とともにありました。その中で、私たちは常にお客様のニーズに応えるため、柔軟に変化し、挑戦し続けてきました。事業内容も、洋風住宅や和風折衷住宅の専門会社から、さまざまな建築物を手がける総合建築会社へと進化しました。現代において、建設業界は人手不足や高齢化、環境問題、技術革新、働き方改革といった大きな課題に直面しています。特に、持続可能な社会を実現するために、環境への配慮はますます重要になっており、私たちは、最新の技術を導入し、効率的かつ環境に優しい建築方法を追求しています。さらに、日本各地で発生する地震への対応も重要な課題です。阪神淡路大震災や東日本大震災、そして能登半島地震など、多くの震災を経験し、そのたびに建設業界の責任を再認識してきました。災害に強い建物の提供を通じて、地域社会の安全と安心を支えていくことを使命としています。
 私たちは、これからも日本の未来を見据え、地域社会とともに発展し続ける企業を目指してまいります。100周年を迎えた今、次の100年に向けて、さらに革新と成長を続ける所存です。

社名について

会社ロゴ。Americaya Architectureの頭文字をとってAAをデザイン化しています。
 さて、一風変わったこの社名ですが、あめりか屋の名前から建築会社を思い浮かべる人は少ないと思います。しかし、この名前の由来こそが創業当時の理想によるものなのです。あめりか屋の創業者である橋口信助は、「わが国の住宅は椅子式に改むべし」「来客本位の間取りは家族本位にすべし」「大都市では共同住宅もあるべし」といった理想を掲げ、外出時には洋服、帰宅しては和服という二重生活を統一することを夢見て、住宅建築に取り組みました。
 社名に「アメリカ」を取り入れたのは、当時の最新技術とデザインを象徴し、革新性と国際的視野を持つ企業としての姿勢を表しています。これにより、日本の気候風土に合い、生活様式を十分に取り入れた日本向け洋風住宅の建築を実現するという理念を表しているのです。時代の変遷とともに事業内容は進化しましたが、社名はそのまま残っています。これは創業当初の理念を大切にし、今後も変わらぬ志を持ち続けるという決意の表れです。
 私たちの社名は、お客様にとっても信頼の象徴であり続けています。長い歴史の中で培った技術と経験を生かし、皆さまに安心と価値を提供し続けていくことをお約束いたします。

理想の実現に向けて

前列左から、ブルーノ・タウト氏、井村健次郎氏、上野リチ氏。後列左から2人目が京都あめりか屋初代社長の山本磯十郎、3人目が上野伊三郎氏
 創業当時の理想は、現在に至るまでほぼ実現されてきました。ハイカラな住宅会社として知られるあめりか屋は、新しさを好む体質と好奇心を持ち続け、それが今では会社のアイデンティティとなっています。
 私たちにとって「ハイカラな精神」とは、時代の感性や社会のニーズに敏感であり続けることを意味しています。その一方で、1世紀を超える歴史の中で手がけてきた数々の建築物は、私たちのかけがえのない財産です。医院住宅(林内科や革島外科など)、画家のアトリエ(富岡鉄斎画伯の画室や堂本印象先生のアトリエなど)、同志社大学の旧新島会館、ドイツ人建築家ブルーノ・タウト氏と会見した京都山科の井村邸など、多様なプロジェクトがその証です。
 この歴史を大切にするという考えのもと、バブル期最盛期の平成2年1月には当時としてはまだまだ珍しいメンテナンス部門であるあめりか屋住宅部を設立し、大量生産・大量消費の流れに反発すべく「良いものをいつまでも」をキャッチフレーズに、活発な活動を行いました。言い換えれば、私たちは「古き良きものを大切にしつつ、新しさを求め続ける」企業でありたいと考えています。つまり、「古くて新しい会社」とも言えますし、「新しくて古い会社」とも言えるこの二面性をこれからも持ち続けることが私たちの理想です。

京都という地で

 京都は、天皇の都城づくりによって誕生し、千百年にわたる繁栄を享受してきた特別な街です。建都千二百年を迎えた京都は、明治天皇の東京行幸によって、人や技術が大量に流出し、京都がその本来の姿を失いつつある時期にありました。このような歴史的転換期において、明治初期から中期の衰退の危機を救ったものの一つが、当時としては大規模な土木事業であった琵琶湖疎水工事でした。また同時に、琵琶湖疎水による水力発電は、京都に我が国初の路面電車を走らせるための電力となり、京都が近代都市として再び息を吹き返す手助けとなりました。この事実は、建設産業が市民に本当の幸せを提供し、人々の生活と深く結びついていることを証明しています。このような大事業でなくても、住宅の建築も同様に社会に貢献するものであると考えています。
 私たちは、まだ十分に豊かとは言えない我が国の「住」に関して、「永続性のある美と快適さの創造」を理想に掲げ、創業以来培ってきた「あめりか屋らしさ」を大切にしながら、京都らしい街づくりに今後も貢献する方針で取り組んでまいります。

最後に

 最後に、建設業界には「きつい」「汚い」「危険」といった3Kのイメージが根強くありますが、私たちはこのイメージを払拭(ふっしょく)し、業界の価値を再評価していきたいと考えています。実際、私たちの業界は現在、革新と持続可能性を追求する重要な転換期を迎えています。現代の建設業界では、テクノロジーの進化が著しく、スマートシティの構築やエコ建材の導入が進んでいます。これにより、建設の現場はより効率的かつ安全に変わりつつあります。また、労働環境の改善に向けた取り組みも進んでおり、業界全体が新たな働き方を模索しています。
 私たちはこうした変化を受け入れ、業界の進化を支える立場として、持続可能な未来のために努力し、これらの変革に積極的に取り組んでいます。私たちが掲げる「やりがいがある」「(人の)役に立つ」「夢を与えられる」という3Yの理念は、ただのスローガンではなく、日々の業務において実践し続けている価値観です。私たちは、最新の技術を取り入れたプロジェクトを通じて、地域社会の発展に貢献し、社員が充実感を持って働ける環境を整え、地域密着型の取り組みを通じて、地域社会との絆を深めることにも力を入れています。
 私たちは、地域の文化や歴史を尊重しながら、地域社会に新たな価値を提供することを目指すことにより、地域社会とともに成長し、より良い住環境を提供することができると信じています。建設業界は、時代の変化に対応しながらも、その本質である「人々の生活をより良くする」使命を持ち、この使命を果たすために、若い人たちを育成し、業界の魅力を高めるために努力し続けます。このような取り組みが、建設業界全体のイメージを刷新し、次世代の人材を引きつける一助となることを願っています。
株式会社あめりか屋

〒606-0804
京都府京都市左京区下鴨松原町20
TEL.075-781-3151
FAX.075-701-2838
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